アメリカンドリームを手に入れた億万長者‼吉田潤喜会長の破天荒人生って?嫁や娘は?こんちくしょー精神とは?

5月28日(月)【世界ナゼそこに?日本人 知られざる波瀾万丈伝】

「アメリカで日本の〇〇広めイチローより有名な男性?」とは?

人々から尊敬されている68歳!テレビやCM出演をされている有名人⁈

ということでいったい誰なんでしょう?

そう!一度は見たことあるのではないでしょうか?

ヨシダソースを作った吉田潤喜さんです。

名物会長の吉田潤喜会長を調べてみました!

アメリカンドリームを手に入れた億万長者

1969年 19歳でアメリカに渡り、紆余曲折しながらも37年前に

実家の秘伝のタレをベースにした「ヨシダソース」をアメリカで販売成功しました。

当時のアメリカ人が知らなかった甘辛い味のタレが武器に

今では一日平均7万本が生産され、14カ国以上で販売されています。

現在はソースだけではなく幅広く事業を展開、グループ会社18社を合わせると

年商は250億円。

ヨシダグループは、アメリカ・オレゴン州ポートランドを拠点に
飲料水、レストラン経営、貨物輸送、マンション・リゾート開発事業を運営しています。

そのビジネスでの功績と地域社会への貢献が認められ、2005年の『Newsweek』誌

(日本版)の「世界で最も尊敬される日本人100」にも選ばれています。

破天荒人生

吉田潤喜(よしだ じゅんき)会長は、1949年12月7日(2018年時点で68歳)京都府生まれ。

在日韓国人2世で、3歳の時に姉と遊んでいた時に針が目に刺さってしまい、

片目を失明してしまいます。

在日コリアンで、片目しか見えず それで小さな頃はよくいじめられました。

いろんな差別用語を言われ、そのまま黙っていじめられとるような

性分じゃなかったそうで、自分をバカにしたやつには、きっちり倍返しでお礼する。

そんなことをしているうちに、どんどんケンカが強くなっていったそうです。

小学校までは柔道を習っていたが、中学入学と同時に空手に鞍替え。

それはケンカで負けないために。ケンカばかりしていて、週に一度は母親が

学校に呼びつけられるような日々を送っていました。

強くなるために空手を習い始めるも、いつしか京都では有名な「ごんたくれ(不良)」に

なっていたのです。

その後 大学受験に失敗し、19歳で渡米を決意。

小中学生の頃、キューバ危機の際の大胆な判断、オリンピックに出場した選手たちの

圧倒的な勝利を見てから、アメリカの強さに憧れていました。

どちらにしても、このまま日本にいたら仲の悪い兄が始めた工場でこき使われるか、

高校の先輩がある組長の息子さんで、その人にすごくかわいがってもらっていたので、

やくざの組にドラフト1位でスカウトされるか、どっちかしかないと思っていたそうです。

母親も このまま日本に置いといてはまずいと考えていたようで、

韓国に留学させるつもりだったのですが、最終的にはアメリカ行きを許してくれた。

母親は、留学用の費用をコツコツ貯めてくれていたのですが、アメリカまでの

高額な飛行機代が足りず、不足分は家の隣のパン屋さんとか、近所を駆けずり回って

借金までして工面してくれた。

アメリカに旅立つ日、母親が羽田空港まで見送りに来てくれて、「カラダに気いつけや」と

繰り返しながら泣いていました。

母親の最後の見送りの言葉が、「あのな、刑務所だけには入ったらあかんで」(笑)

日本を脱出することが一番の目的だったので、無計画でなんのあてもなくやって来た

生まれて初めての異国・アメリカ。

手にしていたのは、母親が自分の稼ぎと借金をして持たせてくれた、アメリカの往復航空券と

現金500ドルのみ。日本には二度と戻らない決意でした。

そこでまず、帰りの航空券を売って現金を得て、ぼろぼろの中古車を購入。

運転免許を持っていない外国人に車を売ってくれるなんて、いいかげんなのか

おおらかなのか…

とりあえずこれで雨露はしのぎ、寝床はシアトルビーチの公衆便所のそばにある空き地に

決定。約7カ月間もの間、車の中で生活します。

アメリカに来てからは、不法労働による強制送還に怯えながら、いろいろなアルバイトを

して生活していました。

最初にガーデナー(芝刈り)のバイトを始めました。切り詰めながらの生活、

このままでは不法就労ですから、いつ移民局の取締りにひっかかって強制送還されるか

わかりません。毎日毎日、朝から晩まで働き、とりあえず学校に入って就学ビザを

取得しなくてはと必死でした。

英語を学ぼうと入学したコミュニティカレッジでは、体育の授業に空手が採用されていて、

先生から見込まれ、助手みたいなことを始めます。

当時はブルース・リーの映画がはやっていて、空手やカンフーがブームだったため、

希望する学生たちに空手を教えて謝礼をもらったり、賞金稼ぎの空手トーナメントに

出場したり、それらで授業料を払っていました。

強くなるためにずっと続けてきた空手が、救ってくれたと思ったそうです。

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