藤井郁美 車いすバスケ選手は大病3回を乗り越えイケメン夫と結婚・出産・アスリート復帰した壮絶人生とは?【仰天ニュース】

車いすでバスケをされている 藤井郁美さん をご存知ですか?

3度の大病を患いながらも、結婚・出産もされ、今でも現役アスリートなのです!

いったい3度の大病とは何なのでしょうか?

そんな不屈の精神で2020年の東京パラリンピックをめざしている藤井郁美さんを調べてみました。

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藤井郁美さんのwiki風プロフィール

名前   藤井郁美(ふじい いくみ)

生年月日 1982年11月2日

出身   神奈川県横浜市

所属   宮城MAX

小学3年生の頃から、お兄さんがバスケをしていた影響でミニバスケットを始められ、中学に入学後もバスケが好きで続けていました。

中学3年生の時に藤井郁美さんは、右足大腿骨に骨肉腫ができてしまい、ひざ関節と大腿骨の一部を腫瘍と一緒に切除する手術を受けました。

手術により、ひざが人口関節になり歩くことはできるのですが、走ることができなくなってしまいます。

その後、高校の時はバスケ部のマネージャーとして忙しくしていたのですが、当時のバスケ部の顧問の先生から車いすバスケットの存在を教えてもらったそうです。

ですが、その時はあまり気にも留めていなかったのですが、その後20歳から本格的に車いすバスケットを開始したのです。

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藤井郁美さん 車いすバスケ選手は大病3回を乗り越える!

藤井郁美さんは中学時代に骨肉腫を患い、摘出手術をされたのですが、膝に人口関節を入れるという手術をされました。

実はその他にも大きな病気を克服されていたのです。

それは、19歳の時に、潰瘍性大腸炎を患い大腸をすべて取る手術をしています。

そして、2017年に乳がんが見つかったのです。

9月に手術をして右の乳房を全摘出されました。

藤井郁美さんは、今までに大きな病気を克服されてその度に強くなってきたところもあったそうですが、さすがに乳がんが見つかった時には心が折れそうだったといいます。

ですが、誰しもが同じ状況だったらかなり落ち込んで、前には向けない心境のところを、

3度の病気ごとに周囲の人、家族や友人たちに支えられ、仲間の存在がなければ、立っていられませんでした。私は「人」に恵まれているなあと思います。

本当に素敵な方々が、藤井郁美さんの周りにいらっしゃって、支えてくれたんですね!

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イケメン夫と結婚・出産・アスリート復帰した壮絶人生

20歳で本格的に始めた車いすバスケットは、5年間ほど神奈川の女子チームに所属していました。

2006年の世界選手権大会に出場した際、そのとき日本代表を率いていたのが、宮城MAXの岩佐義明監督でした。

岩佐監督のもとでもっと学びたい、宮城MAXの男子選手の中で力をつけたいと、宮城県へ移住したのだそう。

その宮城MAXの中の選手、イケメン藤井新悟さんと出会い2012年に結婚されます。

実は、新井慎吾さんも19歳の時、スキー事故で脊椎を損傷し、みぞおちから下が動かなくなったというのです。

そんな新井慎吾さんも、車いすバスケのクラブチーム・宮城マックスの選手に勧誘され競技をスタートされます。

そして2人の間に子宝にも恵まれ2014年年12月、蒼空(そら)くんが誕生します。

産後は、「練習に戻るのは無理」と思っていたそうですが、子育てのストレスをためていた藤井郁美さんに、夫から体育館へ誘われ、そこからまた車いすバスケに火が付きました。

藤井郁子さんの車いすバスケにかける情熱は、本当にすごいです。

乳がんの全摘手術の時も、キャプテン責務を果たさなくてはと言って、術後10日ぐらいで練習に復帰したほどです。

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藤井郁美さん 車いすバスケ選手は大病3回を乗り越えイケメン夫と結婚・出産・アスリート復帰した壮絶人生とは? まとめ

本当に藤井郁子さんは本当に強い方ですね。

中学の時に骨肉腫を患って、今まで通りの生活、今まで通りの運動ができなくなるだけでも相当辛いはずなのに、さらに2つの大きな病気にかかり、それでも尚、前に進んでいく藤井郁子さん。

『なんで私なの…?』と言いたくなるような大病が3度も来たのに、現に藤井郁子さんは、当然辛さもあった中、前を向いて進んでいきました。

それは自分自身のメンタルの強さと、藤井郁子さんの周りの方々の支えが力となり、今がとても輝いて見えますよね!

藤井郁子さん夫婦は、2020年を競技人生の集大成にできればと考えているそうです。

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