1997年から、クレイグ・プリチャート(Craig Pritchert)とノバ・ガスリー(Nova Guthrie)は、ラスベガス、コロラド州、アリゾナを含む合計12の銀行を襲った連続銀行強盗犯だったふたり。
彼らは、銀行強盗をした大金で、優雅にリゾート地に旅行に行ったり最終的にはふたりでアフリカに住み、6年間逃亡生活をしていました。
数々の銀行強盗をしたのにもかかわらず、捕まらずに逃亡し続け国際指名手配されたプリチャートとガスリーは、まるで『現代のボニー&クライド』と呼ばれていました。
『現代版ボニー&クライド』と呼ばれたプリチャートとガスリーの銀行強盗事件を調べてみました!
ボニー&クライド
プリチャートとガスリーがなぜ『現代版ボニー&クライド』と呼ばれているのか?
1930年代のアメリカ中西部、ボニー・パーカー(Bonnie Parker)とクライド・バロウ(Clyde Barrow)は、銀行強盗や殺人、誘拐を繰り返していた超凶悪犯のカップル。
引用:.wikipedia
このふたりは禁酒法と世界恐慌という暗い時代の中で、警察を出し抜き犯行を繰り返す彼らはアメリカの犯罪史に残る「英雄的」な殺人犯であり銀行強盗のカップルとなっていったのでした。
1934年5月23日に寂れた道路を1934年式フォードV8に乗って走行中、情報を掴んで待ち伏せしていた警官6名から、銃で150発以上もの連射を受け、車体を貫通してきた80発余りの銃弾を浴び死亡しました。
ボニーとクライドは、それぞれ24歳と25歳で短い生涯を終えました。
ボニーとクライドは波乱に富んだ人生を送ったため、映画をはじめ、様々なジャンルの作品において、取り上げられることが多くあります。
一番有名なのが、映画【Bonnie and Clyde】”俺達に明日はない”ですね!
プリチャートとガスリーのカップルは何度も銀行強盗をしても捕まらなかったので、『現代のボニー&クライド』と呼ばれるようになりました。
元野球選手クレイグ・プリチャートと優秀なノバ・ガスリーは凶悪銀行強盗犯!
クレイグ・プリチャートは裕福な家庭で生まれ、アリゾナ州立大学で有望視されていた野球選手でした。
しかし、プリチャートはプロ野球へ進むと思われていましたが、サンフランシスコ・ジャイアンツと国民的英雄のスタープレーヤーになったバリーボンズという選手に奪われてしまうのです。
そして、プリチャートは大学を辞め、すぐにお金を稼ごうと思い立ち、ギャンブルと詐欺をたくらみラスベガスに行きます。
そこで、なんと銀行強盗を働くのです。
1992年に逮捕されたプリチャートは5年間アリゾナの刑務所に服役します。
今まで皆の期待を背負い、野球に人生を捧げてきたプリチャートはプライドを打ちのめされたため、犯罪への道へと駆り立てたのではなかと友人は話しています。
ですが、プリチャートは銀行を奪うことは単にお金を得る方法ではありますが、それ以上に究極のスリルがあったといいます。
友人がフェニックスの刑務所でプリチャートの面会へ行ったとき、 銀行強盗の計画について話したときは、とても興奮していたそうで、なんだかそれはプリチャートにとって最高の気分だったと高揚していたといい、そんな自分の人生を楽しんでいるようだったというのです。
プリチャートは刑務所で過ごした時間の大部分を、銀行を襲う方法を上達させるためにかなりの時間を費やしたといいます。
そして、プリチャートには、高校時代から恋人と結婚をし3人の子供がいました。
1997年にスコッツデールの銀行を襲う前に、子供達が父親に会ったのですが、それが最後になったのだそうです。
一方、ノバ・ガスリーは、コロラド州ブーンの片田舎で8人兄弟の末っ子として育ちました。
父親のラルフは機械工、母親は学校教師で、テレビは禁止、公の場でショートパンツを履くことを禁止されていたりと厳しく育てられ学校ではオールAの優秀な学生でした。
そんな両親を持つガスリーは、今まで真剣に付き合ったボーイフレンドはいなかったのです。
1994年にアイオワ州スーシティのモーニングサイドカレッジを医学生として卒業し、一般開業医または小児科医になるつもりでした。
ガスリーは彼女の女子学生会の会長に選出され生物学の学位を受けたそうです。
ガスリーはとても優秀だったとわかりますね。
1997年に、ガスリーの兄弟ジェラルドが、バーで会った魅力的な男性に妹を紹介します。
それが、プリチャートでした。
プリチャートはとても社交的で素敵な笑顔を見せ、ガスリーはこの男に惚れてしまうのです。
プリチャートはガスリーと出会う前に、すでに離婚をしていました。
プリチャートは再び銀行強盗をします。ですが前回と違うのは、彼は犯罪人生の中でガスリーという新しいパートナーができたことです。
ふたりは犯行前に念入りに下調べをし、銀行の始業・終業時間を狙って強盗に入るという手口で、車で待機しているガスリーと無線で連絡を取りながら、拳銃で脅し、金庫室に入って金を奪い、銀行の従業員を拘束するためにダクトテープ、安い手錠などで行員らを縛って逃走していました。
銀行強盗のあとは、必ず彼らの服などを燃やし、車を捨てすべて証拠隠滅を徹底していたのです。
プリチャートとガスリーは盗んだお金を使って、カナダのブリティッシュコロンビア州のマウントバチェラーで1ヶ月スキーをし、ベリーズで冬を過ごし、熱帯地方でスキューバダイビング、リゾート地から他のリゾート地へとバカンスを楽しみ、株に投資したりと盗んだお金を存分に使って楽しんでいました。
1997年から1999年の間に、ふたりはアリゾナ州、コロラド州、テキサス州、ニューメキシコ州、ワシントン州およびオレゴン州を連続強盗し50万ドル以上を手にしたとされています。
今まで銀行強盗はすべてうまくいっていたのですが、やはりガスリーには罪悪感があったのでしょう。
ふたりはフェニックスにあるガスリーの家を訪ねます。
ガスリーの兄弟たちは、プリチャートと引き離し、ガスリーにここに留まるよう言います。
ガスリーも今の犯罪生活から脱却したいと姉妹たちに助けを求めたのです。
そしてガスリーはFBIに協力することに同意、今までの犯罪を告白したのです。
ですがFBIは、ガスリーの発言を裏付ける証拠を持っていなかったというのでガスリーを逮捕しませんでした。
ですが、FBIは彼女と取引をして、プリチャートをあぶり出し逮捕したかったのですが、ガスリーは考えを覆しプリチャートと共に再び銀行を襲ったのです。
ふたりは2000年の秋に、最後の銀行強盗を働きました。
そして、プリチャートとガスリーはホッケーの試合でノバスコシアで見られたのを最後に行方がわからなくなったのです。
国際指名手配犯として6年間逃亡した末は?
2001年7月にFBIは、プリチャートとガスリーを国際指名手配しました。
プリチャートとガスリーは2000年10月に偽名のデーンとアンディ ブラウンという名前で南アフリカのケープタウンに住み始めます。
そこでは、犯罪を犯さず、普通の生活を送っていたといいます。
ガスリーは、高級ナイトクラブ『ボサノバ(Bossa Nova)』のバックオフィスで働いていました。
一方、プリチャートはデイトレーダーをしていました。
そんな平穏な生活をしていたふたりでしたが、南アフリカ住んでいる旅行者がアメリカ旅行中に、ガスリーの国際指名手配のポスターに気付き、警察に連絡したのです。
そして、情報を元にFBI捜査官はすぐにケープタウンに向かい、地元の警察と協力し2003年8月に逮捕します。
警察がケープタウンの一角にある906号室のドアのそばに来た時、6年間も追っていた指名手配犯を鍵のかかったドアの向こうには、『現代のボニー&クライド』として国際的に知られているある意味極悪で有名なプリチャート(当時41歳)とガスリー(当時28歳)の銀行強盗犯をついに逮捕するときが来たのです。
ボニー&クライドのような銃でハチの巣のようになるまで撃たれ劇的な終わり方でしたが、このふたりは、FBIに突入された時、
『ふたりはテレビを見ていた…』
世間を騒がせた逃亡者のふたりは静かに降伏したのでした。
現代のボニー&クライドと呼ばれたクレイグ・プリチャートとノバ・ガスリーは凶悪銀行強盗犯!国際指名手配犯として6年間逃亡した末は? まとめ
アフリカでの友人たちは、一様に驚いたといいます。
ふたりの生活は、普通そのものでガスリーの同僚は銀行強盗をしていたことを信じることができませんでした。
それだけ南アフリカの生活になじんで溶け込んでいたようです。
どんなに離れた場所に生活していようと、どんなに今が善人になろうと、結局、過去の罪に代償を払わなければいけないのです。
プリチャートは22年半の禁固刑、ガスリーは10年の禁固刑、さらに231,000ドルの支払いを命じられました。
現在、刑期を終えたガスリーは、ヨガインストラクターとして、コスタリカで生活しているようです。
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