下仁田納豆がヒットしたのは”もぎ豆腐店”の師匠がカギ? 栄養満点の高級三角納豆が有名になった理由は?

1月31日【奇跡体験・アンビリバボー】に下仁田納豆店(元・伊藤納豆店)が倒産寸前だった家業を継ぐことになった現代表の南都隆道さんの成功物語が放送されます。

今では高級納豆として有名ですが、どんな道のりで成功され、カギとなる方はどんな方なのかを調べてみました!

家業の納豆店が廃業寸前

南都隆道さんの父親の伊藤幸夫さんは10以上の仕事を転々とされ、隆道さん(社長)の誕生を機に「地に足をつけて一生の仕事をしよう」伊藤納豆店を始めました。

伊藤納豆店の創業は、1963年になります。

南都隆道さんは小学生の頃から毎朝、「なっとー、なっとー」と引き売りをして手伝っていたそうです。

納豆店を継ぐきっかけとなったのは、平成五年の正月に帰省した時のこと。

「そろそろ廃業しようと思う」と父親がぽつり…

町の人口自体が減り、比例して納豆の売り上げも下がり”廃業”は自然な成り行きでした。

ですが、「ちょっと待ってくれ」南都隆道さんは引き留めたのです。

「親父さえよかったら、俺に継がせてもらえないか」

今まで南都隆道さんは、家業を継がずにサッシメーカーに技術者として就職していました。

自分でもどうしてそんなことを言ったのかわからなかったそうです。

父親は反対したのですが、

「廃業するのも俺がやって潰すのも一緒だろ」

家業を引き継ぐことになり、ここで転機が訪れたのです!

下仁田納豆がヒットしたのは”もぎ豆腐店”の師匠がカギ?

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おはようございます(*^^*) みなさま~良い一日を、、、 #下仁田納豆 #経木納豆 #美味しい納豆 #納豆 #下仁田

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伊藤納豆店から下仁田納豆と名前を変えて再スタートしました。

南都隆道さんは家業を継いだはいいが、最初は売り上げが振るわず苦労をされていました。

スーパーに営業をかけても、相手にされない…

「納豆なら水戸じゃないの? 下仁田なんて…」

「納豆屋なんかして大丈夫なの。早いうちにサラリーマンに戻った方がいいよ」

大手メーカーに対抗して安い納豆をつくらなければと値段も下げたりしたが、売り上げはよくなかったのです。

このような悲惨な状態が続いていた中、悩んだ南都さんが始めたのは同業者への挨拶周りでした。

実は挨拶周りと称して、どのようにして経営を成り立たせているのか、何かを教えてもらいたかったのです。

とは言っても納豆屋の話をすると、反応はいまいちでした。

そんな中、あるスーパーで、ふと値段の高い豆腐が目についたのです。

それは、豆腐の中では1番売れている豆腐だといい、なぜ売れているのかが不思議だったのです。

その豆腐はもぎ豆腐店『三之助とうふ』でした。

早速、もぎ豆腐店へ赴き、南都さんはそこで師匠と呼べる方に出会ったのでした。

南都さんの運命を変えた方こそ、埼玉のもぎ豆腐店の社長の茂木さんでした。

南都さんは自己紹介と、これまでの経緯を説明すると、茂木社長

「若いのに家業を継ぐなんて偉い」

「で、君はこれからどういう納豆を売っていきたいんだ」

と、初めてこのようなことを言われたのでした。

答えに困った南都さんでしたが、その時に考えていたことを伝えると、茂木社長に激怒されてしまうのです。

「今、売っているのは九十円の納豆です。大手と対抗していくためにおいしくて安い製品をつくっていくことが重要だと思うんです。だから、安くていいものを探すよう努力はしています」

茂木社長『帰れ』と、手元にあった茶碗に入っていたお茶を南都さんの顔にぶっかけたのです。

なぜ茂木社長が、そこまでしたのかというと、

「君は自分のところの納豆屋を潰したくないから家業を継いだんだろう。売価を自分で決 めることは商売で一番、大事なことだ。それなのにどうして、そんなプライドのないこと をするんだ。自分の商売に誇りが持てないならさっさと辞めたほうがいい」

南部さんにとって真剣に向き合って怒ってくれる人は、茂木社長だけだったのです。

そして茂木社長が豆腐に使用している国産の素晴らしい大豆を分けてくれることと、作った豆腐を茂木社長が売ってくれるということになったのです。

その後、信じられないくらいに月商は順調に伸びていき、経営は安定してきたのです。

安定した経営は1年経ち、ある時、茂木社長は取引中止を南都さんに告げました。

急に冷たくされた南都さんですが、どうにか繋げないといけない一心で、どうせやるならとデパートトップの日本橋三越に持ち込んだのでした。

栄養満点の高級三角納豆が有名になった理由は?

なぜ高級デパートが快く受け入れてくれたのか、それは…

「三之助とうふさんからちょくちょくサンプルを送っていただいていたんですよ。気に入ったから仕入れようか」

と思って、茂木さんに聞いてみたら

『そのうちそれを作っている若い奴がちゃんと挨拶に行くからその時にはどうぞよろしく』という話で……

明日から棚に並べたいのですけど、手配はできますか

他の店を廻っても同じように歓迎してくれたのです。

茂木社長は納豆を売っていると言いながら、実際にはあらゆるところにサンプルを送ってくれていたのです。

南都さんはすぐに茂木社長のところにお礼に行きました。

すると茂木社長は、

「結局、商売も人生も人との繫がりなんだ」

「別にお礼を言われるようなことじゃないんだ。君が今度、 同じように志のある作り手を見つけたら同じことをしてあげればいいから」

茂木社長茂木豆腐店で苦労したときにいろいろ教えて助けてくれる人がいたのだそうです。

プライドを持つ

「君のところの室にはネズミがいる。退治してこい」とある日、茂木社長に言われたのです。

設備などをしっかり確認をしたが異常はなく、南都さんは直接、真意を聞きに行きました。

すると茂木社長「この納豆を見てみろ」と言われ経木の包みを開けると、大豆が並んだ三角形の頂点が欠けていたのです。

「食われているだろ」

南都さんは、

「いや、師匠。手作業で詰めているんです。一つくらいこういうのが出るのも手作りの味じゃないですか」

すると茂木社長はは厳しい表情になり

「なに言っているんだ。豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえっていう言葉があるが、うちの豆腐は角が立っているので死ねる。

それぐらいの気持ちでつくっているんだ。安い豆腐なら角が欠けていても許される。でも、値段をとるなら駄目だ」

今では発酵前の煮豆を経木に盛り込むとき、3つの角に豆が行き渡るよう手作業でしっかり詰めています。

「緻密で完璧な仕上がりこそ日本の職人技。」

師と仰ぐ茂木社長に言われた教えを守り続けています。

「豆腐に角があるように、納豆にも角がなくては。」下仁田納豆のプライドなのだそうです。

師匠と弟子の約束

茂木社長という方は身なりがきちんとされたお洒落な方で、一流好みだったそうです。

食事をする店一つとってもランクの高い店を選び、自分も常にいいものに触れていなければ、本当の一流はつくれないという信念に基づいてのことなんだそう。

その人としても素晴らしい経営者の茂木社長が2013年8月に亡くなられました。

南都さんは、師匠と慕っていた茂木社長の教えを、師匠から弟子へと想いが伝えられていくように後世に受け継いでいっているのです。

今では、下仁田納豆の本社兼工場には頻繁に中小メーカーが相談にきたり、小売店が視察に訪れたりと、問い合わせがあれば、快く受け入れているのだそうです。

下仁田納豆がヒットしたのは”もぎ豆腐店”の師匠がカギ? 高級三角納豆が有名になった理由は? まとめ

師匠の茂木社長とは、経営だけじゃなく人に対しても勉強になるような素晴らしい方との出会いによって下仁田納豆の成功があったのですね。

現在では、高級納豆としてデパートに納品されて売り上げも好調のようですね。

納下仁田豆は質のいい国産大豆を使用され、製法もこだわり手作業で作られている納豆は、見ているだけでも美味しそうです。

このような物語があったのだと思い返しながら、下仁田納豆を食べると、また一味違うかもしれませんね!

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