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元”たま”のランニング石川浩司の現在は海外でブレイク?!嫁は?

エンターテイメント

90年代に”たま”というバンドが活躍されていたのをご存知ですか?

「さよなら人類」が大ブレイクして”たま現象”という言葉も出たほど。

リアルタイムで見ていたアラフォ―主婦は、今まで触れたことのない不思議な音調というのでしょうか…詳しくは説明がむずかしいのですが、なぜか耳に残り口ずさんでしまうような曲調。

やはりいい曲だからこそ、大人気になったのですが、”たま”のメンバーの外見もまた特徴的でインパクト大のバンドでした。

その”たま”というバンドでランニングシャツを着ている「石川浩司」さんを調べてみました!

 

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元”たまのランニング”こと石川浩司さん

 

名前   石川浩司(いしかわこうじ)

通称   たまのランニング

生年月日 1961年7月3日

年齢   57歳(2018年現在)

出身地  東京都

学歴   和光大学文学部中退

身長   170㎝

体重   80㎏

 

1984年バンド「たま」を結成、パーカッションとボーカルを担当します。

1990年「さよなら人類」でメジャーデビュー。

 

”たま”はアマチュアバンドが演奏を競い合う人気番組の「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」に出演後、一晩で”たま”が人気者になります。

 

石川浩司さんは「たま」の中でもランニングに丸刈り頭で,あの山下清風の身なりや、ガラクタをパーカッションにして適当に叩いてるようにみえる、かなりインパクトある人物です。でも、石川浩司さんのパーカッションって実はむちゃくちゃ凄いらしいです。

 

 

実はそのパーカッションは石川浩司さんが週に一度楽しみにしている毎週木曜の燃えないゴミの日に、落ちているゴミを拾いにいったある日、スネアドラムが落ちていました。バンドで使ったら面白いかなと思って、半分おふざけで持って帰ったのがきっかけで、パーカッションをやることになったそうです。(メンバーのなかでギターが一番下手だったようで…)

貧乏時代に、燃えないゴミの日徘徊で一時期は家の中テレビ8台くらいあったそう。(笑)

 

そもそもなぜランニング姿なのかというと、本人曰く、毎回ライブ中に暑くなって服を脱ぎ、最後には上半身裸になってしまうので、始めからランニング姿でライブに出るようになったそうです。

 

そして1990年に「さよなら人類」が大ヒットし一躍注目を浴びました。

同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場しました。

 

大人気になった「たま」ですが当時は

「一番辛かった。お金は入るが、人に常に見られているので精神的に疲弊してしまった」

と厳しい日常を送っていたと振り返っています。

 

そのため、日本にいると、ちょっとでも時間があるばテレビや雑誌の取材が入って気が散ってしまうため、アルバムのレコーディングも、海外でやるようになりました。

 

1995年にメンバーの柳原さんが脱退してメンバーは3人になります。

2003年に「たま」は完全に解散してしまいました。

 

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「たま」の解散理由

メンバーの柳原さんが脱退した後、キーボードにサポートメンバーを入れて、8年間やっていました。完全に解散したのは、各メンバーの他の音楽活動の比重が増えてしまい、20年近く「たま」をやってきて、マンネリ化してきたのは認めざるをえなくなったためと石川浩司さんは話しています。

 

最後の「たま」のライブで、石川浩司さんは山口百恵の引退時になぞらえて、トレードマークのランニングをマイクに掛けてステージを去ったそうです。以後10年間ランニングを着なかったそうですよ。(笑)

 

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元”たまのランニング”石川浩司さんの現在は?海外でブレイク?!

現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続けています。

「パスカルズ」というバンドは、「たま」のメンバーだった知久寿焼とも一緒にやっていて、バンドメンバーも14人という大所帯。パスカルズは歌の無い、器楽演奏が中心の「インスト(インストゥルメンタル)バンド」なのです。

 

バイオリンが4人いるプチオーケストラバンドで、音楽ジャンルははっきり分からないそうです。演奏楽曲の7~8割はオリジナル曲ですがカバー曲もあり、バッハ、ローリング・ストーンズ、ヘンリー・マンシーニ、スペイン民謡、友部正人、高田渡、そしてパスカルズの名前の由来となったフランスのパスカル・コムラードなどを演奏するそうです。

 

この「パスカルズ」、海外でけっこう人気があって、パスカルズのCDをフランスのミュージシャンが気に入り、フランスでCDデビューを飾ってから一気に人気が高まったそうです。フランスではアルバムを3枚リリースしました。

 

そして、フランスの大手新聞「ル・モンド」など海外メディアで推薦アルバムとして選出されたこともありました。

 

毎年欧州各地の音楽フェスティバルに呼ばれるほど人気ぶり。1年のうち1カ月程度は海外滞在していて、最近ではポルトガルで7000人規模のライブにも出演したそうですよ!

 

「たま」の時代から海外で公演されていたんですね!当時の人気の程が伺えます!!

 

`95 たまでニューヨーク公演
`96 たまでパリ公演
`99 たまでネパール公演(3カ所)
`01 パスカルズでフランス公演(3カ所)
`03 パスカルズでフランス・スイス公演(13カ所)
`04 石橋幸ユニットでロシア公演(3カ所)
`05 パスカルズでフランス・スペイン・ベルギー公演(16カ所)
`06 パスカルズでフランス・ドイツ・イギリス公演(18カ所)
`07 ソロで上海公演
`08 ソロでチェンマイ公演
`08 パスカルズでフランス・スペイン公演(12カ所)
`12 パスカルズでオーストラリア・ニュージーランド公演(4カ所)
`13 ソロ&セッションでタイ公演
`14 ソロ&セッションでタイ公演
`15 ソロ&セッションでタイ公演(4カ所)
`15 パスカルズでフランス・スイス・ポルトガル公演(4カ所)
`16 ソロ&セッションでタイ公演(4カ所)
`17 ソロ&セッションでタイ公演(2カ所)
`18 ソロ&セッションでミャンマー・タイ公演(3カ所)

 

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元”たまのランニング”石川浩司さんの面白エピソード

フランスの歴史あるフェスティバルから声がかかり2001年、レンヌという町での公演をしましたときのこと。

ライブでは、ちょっとくだらないパフォーマンスをちょくちょくするそうで、高さ3メートルくらいの不便な所にわざとシンバルを設けて、真剣に跳躍しないと叩けないというふざけたセットにしておいた。

演奏を始めてから、石川浩司さんのジャンプにどよめき、うまくジャンプして叩ければ拍手、失敗してカスれば「Oh~」というお客さんの反応をおもしろがりながら演奏を続けていました。大盛り上がりでステージを後にして、楽屋で一息ついていると、ひとりの白人男性が部屋に走り込んで来て、「うちのサーカスに来ないか」と誘われたそう。

その時、もう40歳になっていたのでパフォーマンスがウケたのは嬉しかったのですが、今からサーカスに入団するのも怖かったので、お断りしたそうです。

実は後から知ったことは、そのサーカスがオリンピック選手などが引退した後に、必死で入団を希望してもおいそれとは入れない、世界一のパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」だったそうです。( ゚Д゚)

 

石川浩司さんは色々とたくさんのエピソードを持っていて、本当におもしろい方なんです!

 

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元”たまのランニング”石川浩司さんの嫁は?

石川浩司さんと妻の出会いは、『たま』がデビューする前まで遡るのですが、妻も結婚前に別のバンドを組んでいたらしく、『たま』がインディーズで活動していた頃、『東京の川を船で下ってみる』という東京中野区で開催されたイベントで共演し出会ったようです。

そして、この運命的な出会いをきっかけに二人は意気投合。徐々に仲が深まっていくと、彼女からの逆プロポーズの末に1989年5月に結婚しました。

おふたりの笑いのポイントも性格も似通っていたので、結婚したら楽しく暮らせそうということで結婚に至ったみたいですね。

ですが、なぜか周りからは妹と間違えられるらしいです…

 

 

元”たまのランニング”石川浩司さん まとめ

あまりにもインパクトがあった「たま」。解散した後も、元”たまのランニング”こと石川浩司さんは、ぐうたらを自称、ミュージシャンとしての志が低いことを認めていますが、いろいろと精力的に?たくさん書籍を出されていたり、ソロやバンドでと多忙な活動をされているようですね。

9月20日【じっくり聞いタロウ】に出演されますが、また面白エピソードやスゴイ話が聞けるかもしれませんね!

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