「奇跡体験!アンビリバボー」で銀行員行方不明事件が放送されます。
この事件は1977年に銀行員の方が集金に出て、そのまま戻らず失踪した事件。
当時は銀行の不祥事が多く、またもや大金を持ち逃げしたと思われ、警察にはすぐに届けを
出しませんでした。
ただこの事件、驚きの真相と悲劇があったのです。
群馬銀行員失踪事件!1800万円を持って逃亡?
1977年7月25日、群馬銀行員が日本生命前橋支社のビルに集金のために出かけました。
当時は、銀行員自らが集金を行っていたのです。
しかし、この男性は帰社予定の時刻になっても帰ってきませんでした。
心配した同僚たちは取引先の日本生命前橋支社を捜索したのですが、
銀行員が乗っていた車を日本生命前橋支社ビルの駐車場で発見します。
ですが、集金したはずの現金780万8721円と、小切手44通(額面合計1033万6735円)が無くなっていました。
当時は、銀行員による横領や不祥事が多くあったことに、群馬銀行は
「もしかしたら、お金を持ち逃げしているかもしれない」としてあえて届け出を
出さなかったのです。
翌日、失踪した銀行員の妻は前橋署に捜索願を提出しますが、警察も
バスに乗っていた銀行員を見たという証言も現れたため、「大金を盗んで逃げた」
という見方を強めました。
これよってマスコミも銀行員の持ち逃げによる失踪として事件を報道するのです。
その時家族は?
失踪した銀行員男性(当時45歳)の家族は妻と2人の息子がいました。
妻は「夫が持ち逃げをするはずがない」と無実を訴え続けたのですが、聞き入れてもらえず
夫は行方不明のままの状態が続いたのでした。
その後の妻と息子らは、嫌がらせやイジメを受けるようになってしまうのです。
いじめを受けていた次男は非行に走り、家族は崩壊していきました。
母親は、人目を避けるように行動し、肩身の狭い思いをずっとしていたのです。
そして失踪から4年後の1981年8月27日、妻は自宅の寝室で自殺しました。
銀行員行方不明の真相は?
1982年12月、日本生命前橋支社ビルにある重油タンクの清掃中、死体が発見されます。
この死体の身元を調べてみると、なんと5年前に失踪していた銀行員だったのです。
その死体は、油漬けになっていたので、腐敗せずミイラのようになっていました。
その後、群馬県警は練馬区のパチンコ店に住んでいた男(事件当時43)を逮捕します。
銀行員が失踪した事件当時、その男は日本生命前橋支社の社屋ビルに管理人として、
妻と子供と住んでいました。
犯行の動機は、ギャンブルによってサラ金で500万の借金を作り、返済に追われお金欲さで
犯行に及んだのでした。
その銀行員から奪ったお金で借金を返済し、余ったお金はまたギャンブルに
注ぎ込んでいたのです。
その後もギャンブルはやめられず、当時働いていた会社のお金を横領しようとしたのですが、
失敗し解雇されます。
そんなどうしようもない男に見切りをつけた妻は離婚。
そして、男はパチンコ店で住み込みで働いていたのです。
裁判は1983年9月26日、死刑求刑に対して無期懲役判決が下りました。
1984年12月19日、東京高裁でも検察側の控訴を棄却。
その後、犯人は無期懲役刑が確定しました。
群馬銀行員失踪事件!1800万円を持って逃亡?その時家族は?銀行員行方不明の真相は? まとめ
結果、犯人は逮捕されましたが、銀行員の男性は持ち逃げの疑惑をかけられたまま
見つかるまでの5年の間、家族も耐えに耐えない世間の目や嫌がらせなどに耐えきれず、
その妻が自殺するという最悪の結末となってしまいました。
さらに不幸なことに、次男も母親の死を目前にし精神を病んでしまい、自殺してしまったのです。
警察が最初から事件としてもっとしっかりと捜査していたら、マスコミがもっと慎重に
報道していたら、奥さんや次男の自殺という最悪の事態は避けられたかもしれません。
本当に悔やまれる事件でした。
コメント
今『アンビリ』で取り上げられていましたが、次男も自殺したそうで、長男も結婚していないという大変な結果になりました。
結局今大問題になっているフェイクニュースで人生を狂わされてしまいましたが、ネットも怖いが、噂や口コミはもっと怖い!
おっしゃる通り、昔も真実ではない話が噂で広まり人の命を奪ってしまうこともあったと思うと、やるせない気持ちになり、本当にこわいと思いました。