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三越事件 ペルシア秘宝展偽物だった!“天皇”と言われた社長岡田茂の異常な独裁体制と“女帝”と言われた愛人竹久みちとのスキャンダルとは?

エンターテイメント

1月21日の【一番だけが知っている】に一流百貨店と言われている三越「古代ペルシア秘宝展」に出品されたものの大半が贋作だった!というのが放送されます。

 

その贋作事件から、当時 三越の社長をしていた岡田茂が会社を私物化し、愛人にお金を流していたというスキャンダルが発覚します。

 

その一連の三越事件を調べてみました!

 

 

 

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古代ペルシア秘宝展は偽物だった!

1982年8月28日 一流デパートの三越本店で開催された古代ペルシア秘宝展で販売されていた作品のほとんどが贋作だったことが判明します。

 

誰もが知る一流デパートで、なぜこんな事件が起こったのでしょうか?

 

 

この古代ペルシャ秘宝展では、47点が出品されました。

 

開幕直後より、研究者や古美術商から「ほとんどが贋作である」という非難の声が上がったのです。

 

展覧会の実質上の主催者である国際美術社長は、その内の7点については、米国の鑑定機関 「アメリカン・アカデミー」の鑑定証があり、他のものについても本物であると主張しました。

 

ですが、展示品47点の大半が、偽物だったと判ったのです。

 

捜査をしていくうちに入手ルートが解明され、イラン人古美術商と、日本の古美術商が捜査線上にあがりました。

 

この「古代ペルシャ秘宝展」を主催したは国際美術(渡邊力社長)は、その出品作のほとんどをイラン人古美術商のイライ・サカイから買ったものでした。

 

イライ・サカイ「海外ルート」「国内ルート」でこの品物を集めていました。

 

「海外ルート」はロンドンなどで出回っていたものを集め、「国内ルート」は東京都内の骨董店「無尽蔵」から買ったものでした。

 

そのうちの6点に関しては横浜の彫金工が『自分が作ったものだ』と証言、この彫金工が千葉県の古美術商に売ったものを無尽蔵が買い、それがイライ・サカイに売られていたことまで突き止められました。

 

この古美術商イライ・サカイは世界中の画商らを手玉に取って美術品詐欺を繰り広げた人物なのです。

 

ロウで原形を作成してゴムで鋳型をつくり、それに高の銀を流し込んで成形され、一つの型から最高10個を制作したケースもあったのです。

 

本人たちは真作として売買されないように申し込んだそうですが、古美術商側に断られ、さらに本物らしく見せるために古美術商側で細工がされました。

 

そのようなものの中には、2億円の売値がついた品も有ったのです。

 

この秘宝展は国際美術(渡邊力社長)で企画から品揃えまで全て行いました。

 

展覧会開催前から渡邊社長はほぼ全てがニセモノであること知っていたのです!

 

にも関わらず世間を欺き、金儲けをしようと企てたのでしょう。

 

渡辺社長と三越の岡田茂社長は親密な関係にあり、この事件がきっかけに一連の三越事件に発展していきました。

 

 

 

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“天皇”と言われた社長岡田茂の異常な独裁体制

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1972年 岡田社長は就任後、自身に批判的な幹部を次々と左遷、岡田天皇と呼ばれる独裁体制を確立させていきます。

 

最もライバルと目されていた常務の坂倉芳明氏を追放するのです。

 

ですが坂倉氏は堤清二氏の誘いで西武百貨店の副社長に就任します。(坂倉氏はのちに社長に就任、更にその後三越に復帰して社長に就任している)

 

自分の意に沿わぬ人物を次々と粛清していったのです。

 

岡田社長は独裁を貫くため、副社長、専務は置かず要所要所には側近を配し社内に秘密スパイ部隊を張り巡らしたのです。

 

そして不明瞭な経理によって会社を私物化させていきました。

 

他の有能な幹部役員も次々と三越から去って行かざるを得ない状況だったのです。

 

 

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“女帝”と言われた愛人 竹久みちとのスキャンダルとは?

三越での映画関連の展示会の時、当時宣伝部長の岡田茂と知り会いになり愛人関係となります。

 

六本木で国内初のアクセサリーデザイナー養成所「竹久みちアクセサリーデザインスクール」を始めます。

 

1972年、岡田茂は社長に就任し、竹久みち氏は、三越本店の売り場の他にも支店にアクセサリー店舗をおきます。

 

「アクセサリーたけひさ」ブランド のみに留まらず、海外の一流ブランド品や香港・東南アジアで製造されたアクセサリー類までもが「香港三越」を経由して、新たに竹久氏の設立した「オリエント交易」を通じて多額の取引手数料(仲介手数料)を手に入れるようになります。

 

さらには婦人服ブランド「カトリーヌ」を立ち上げ、三越の婦人服売り場を、この「カトリーヌ」ブランドで埋め尽くそうと展開。

 

三越への納入商品は年々拡大の一途を辿り、「カトリーヌ」 「アクセサリーたけひさ」「オリエント交易」 からの納入は、やがて三越の経営を圧迫するような膨大な不良在庫を抱えるに至ったのです。

 

 

 

そして、二人の関係は社内でも公然の秘密と化し、やがて竹久みち氏「女帝」と呼ばれ三越への事業活動や人事に深く関与するようになっていきました。

 

 

岡田社長同様に竹久批判には、左遷、降格、追放による報復人事をしていったのです。

 

 

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岡田社長 解任

「このままでは創業 310年の三越が瓦解してしまう。どうか三越を救って下さい。」

と悲痛な叫びが社員からあがるのです。

 

こうした中、水面下では三井銀行の小山五郎相談役などの三井グループの幹部や三越の反岡田派を中心とした『岡田おろし』の準備が進められてきたのです。

 

社外取締役の三井銀行(現・三井住友銀行)の小山五郎相談役は、穏便に事を済ませる為、『古代ペルシア秘宝展問題』の引責が理由なら余り傷が付かない、と社長岡田へ辞任を詰めるたのですが、岡田社長は喧嘩腰にこれを拒否。

 

以降、小山氏を始めとする三井グループ各社の幹部や三越内部の反岡田派は岡田社長の追い落としを図り始めました。

 

 

1982年9月22日 「三越」取締役会

「三越」取締役会で第5号議案まで審議が終わった時、岡田社長は腹心の杉田忠義専務に議長を交代します。

 

その目的は、配布資料で「その他」とのみ書かれた第6号議案、即ち、事前に打ち合わせを済ませた、「岡田に付いての風説は事実に反する」の確認とされており、それゆえの議長交代だったのです。

 

岡田社長の腹心の杉田専務は既に小山相談役から引導を渡されており、突然、岡田社長の社長職と代表権を解くことに賛同する者の起立を求め、それに応じて14人の取締役が起立したのです。

 

驚いた岡田社長「なぜだ! 何だこれは!」と叫び、理由を説明する義務はないと突っぱねられます。

 

岡田社長「おかしいじゃねえか。議長は俺だ!」とごねたのですが、小山五郎社外取締役の提案により改めて発議された動議は16対0で可決成立。

 

その場で岡田社長は非常勤取締役に降格となったのです。

 

隣室に控えていた顧問弁護士に解任手続きに瑕疵(かし)がない旨を告げられました。

 

この時に岡田氏が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となりました。

 

岡田氏は小山相談役から「岡田君、もう終わったのだよ」と声を掛けられても「なぜだ…」と力なく呟き続けていたのだそうです。

 

 

その後、社長後任には元社長の岡田氏によって左遷された名古屋三越社長の市原晃氏が就任し、後になっ同じく左遷させられた板倉芳明氏に社長の座が回って来たのです。

 

 

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その後…

岡田氏は、19億円の特別背任の容疑で東京地方検察庁特別捜査部に逮捕され同罪に問われました。高裁で懲役3年の実刑判決が下り、上告中の1995年7月20日、腎不全のため死去(80歳没)。これにより公訴棄却となりました。

 

また竹久みち氏も別背任罪と所得税法違反で懲役2年6か月、罰金6000万円の実刑判決が確定、栃木刑務所に収監されました。

 

岡田氏とともに逮捕されたことでそのすべてを失い、その後は、クィーンズオーキッド株式会社を設立し、アートフラワーの販売を続けました。

 

そして岡田氏の死から14年後の2009年(平成21年)7月24日に死去(79歳)。

 

 

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三越事件 ペルシア秘宝展偽物!“天皇”社長岡田茂の独裁体制と“女帝”愛人の竹久みちとのスキャンダルとは? まとめ

この三越事件にかかわった人物一人ひとりを調べていくと、美術品詐欺をしていたイラン人の古美術商や無尽蔵の古美術商が行方不明(殺人?)になっていたりと、ミステリーな部分もあったり、サスペンスな部分もあったりと、ここでは情報が多すぎて載せていないのですが、とても興味を持つ事件でした。

 

デヴィ婦人や、松本清張氏とのつながりなど、著名な方とのつながりもまた面白みが増している事件。

 

大企業の三越大スキャンダルという過去があったとは…と改めて驚愕してしまいました!

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