坂本博之の壮絶な生い立ち・虐待で児童養護施設から”平成のKOキング”プロボクサーチャンピオンに!不幸の連続を受け入れ子供達を救う活動とは?




日本ライト級チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンに輝いた元プロボクサーの

坂本博之(さかもと ひろゆき)さん。

幼少時代を過ごした児童養護施設でボクシングのテレビ中継を見て、プロボクサーを目指し、夢を叶え日本チャンピオンに輝きました。

ですが、そうなるまでに、坂本博之さんの生い立ちは虐待を受けて死んでしまうかもと思ったほど壮絶な子供時代だったそうです。

そんな坂本博之さんを調べてみました。

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坂本博之さんの壮絶な生い立ち

     引用:http://wedge.ismedia.jp/

1970年12月30日生まれ、福岡県田川市出身。

幼少期、両親の離婚のため、乳児院で育てられました。

その後、母親と一緒に暮らしましたが、いろんな事情で弟と一緒に遠い親戚の家に預けられました。

     引用:ハートネットTV

坂本博之さんが、6歳のときです。

しかし、その家で坂本兄弟は完全に邪魔者扱いをされていました。

その時から虐待が始まったのです。

食事は与えてもらえず、一日、学校の給食1食だけでした。

そのため、休みの日は給食がないので、川でザリガニを、空き地でトカゲを捕っては、火にあぶって飢えをしのいでいたそうです。

夜は玄関口にバスタオル1枚を敷いて寝て、トイレは『水道代がもったいない』と言われドアノブを針金で縛られ、外で用を足していました。

それでも我慢できずに弟が粗相をすると「兄の責任」と、殴られていたのだそう。

不満を言うと、顔の形が変わるほど殴られ、つらいという次元は超え、死を思ったこともあったそうです。

ですが、母親との別れ際に『弟を頼んだよ』と約束したことを幼心に弟を面倒みなくてはいけないという使命感があり、守らなくてはと強く思っていました。

凄絶な虐待が1年半も続いたのです。

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虐待で児童養護施設から”平成のKOキング”プロボクサーチャンピオンに!

     引用:ハートネットTV

つらい日々を過ごしていたある日、栄養失調で倒れた弟が学校に運び込まれたことをきっかけに調査が入り、坂本兄弟は福岡市の児童養護施設・和白青松園に保護されました。

「暖かい毛布と温かい飯。これで死ななくてすむ」

と思ったそうです。

施設の食堂でみんなでご飯を食べながら見ていた時、テレビでボクシングの試合が流れていました。

坂本博之さんはテレビの画面に釘付けになりました。

テレビの向こうがとても華やかな世界に思え、早くこの状況から抜け出し、

『絶対ボクサーになってやる!』と強く思ったそうです。

小学3年になったとき、迎えにきた母親と上京します。

とはいえ、母親に引き取られて施設を出た後も生活保護を受けながら弟と二人暮らしをし、

一日500円で生活するために賞味期限切れの弁当を探す毎日だったそうです。

高校生の時は、弟を養わなくてはいけなったので、ボクシングをする余裕のお金などなかったため、掃除や工事現場などのアルバイトをしていました。

そして高校を卒業してようやく、プロボクサーを目指してジムに入ります。

練習に励み、入門からわずか半年後にプロテストを受けます。


しかし結果は不合格

ですが、これが坂本博之さんを真のプロボクサーにする大きな転機となったのです。

高校生の友達とは連絡先を言わず引っ越し、距離を置きプロボクサーとしての練習を始めました。

そしてのちにライト級の世界ランキング1位にまでなり、

「平成のKOキング」と称されるほどのボクサーに成長していったのです。

1991年12月にプロデビュー

1993年全日本ライト級王者

1996年OPBF東洋太平洋ライト級王座を獲得

1997年に世界初挑戦するも判定負け

1998年から2000年にかけて3度、再挑戦するが世界タイトル奪取は叶わず

2007年に現役を引退  47戦39勝(29KO)7敗1分。

現役時代のハイライトは4度目の世界挑戦、

2000年10月、畑山隆則さんとのWBA世界ライト級王座決定戦です。

畑山さんとのタイトルマッチは、負けても

「すごい試合だった」

「感動した」

「あんな試合を見せてくれてありがとう」

といまだに多くの人に言われるほどの名勝負でした。

坂本博之さんにとっては最後の世界挑戦は失敗に終わりましたが、

この試合は年間最高試合に選ばれるほど語り継がれる試合だったのです。

現在、坂本博之さんは東京都荒川区でSRSボクシングジムを開き経営されています。

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不幸の連続を受け入れ子供達を救う活動とは?

4度目の世界挑戦に敗北した坂本博之さんは、

本格的な再起戦となったOPBFタイトルマッチにも敗れてしまいます。

ヘルニアを持っていた坂本博之さんは、完全復活するために、腰の手術を敢行。

手術は成功し、つらいリハビリ生活を送ります。

そんな矢先に、妊娠している奥さんが救急で運ばれます。

奥さんは子宮破裂で帝王切開で赤ちゃん(女の子)を取り出したのですが、妊娠8カ月での超早産だったため、集中治療室に入って治療をしたのですが、産まれたばかりの赤ちゃんは奥さんの腕の中で息を引き取りました。

実は、坂本夫婦は以前にも子供を亡くされています。

そのときは6カ月(男の子)での死産でした。

今回、妊娠は”希望”そのものでした。

しかしその”希望”は無残にも奪われてしまったのです。

虐待を受けて、施設に育って、世界タイトルも取れなくて、そして子供まで…

坂本博之さんは絶望のどん底へ落ちていったのです。

ですが、悲しみや絶望を受け入れボクシングを続けなくてはという気持ちになり、

亡くなった子供のために、もう一度チャンピオンになってやろうと思ったのです。

子供にチャンピオンになった自分を見せたかった…

そう思い始めたのが、子供が亡くなって5カ月後くらいでした。

子供のため、妻のため、自分のために再びボクシングに戻った結果、自分を取り戻していったのでした。

さまざまな試練を通して、人の強さを実感したという坂本博之さん。

すべてを受け入れ、新たな使命を感じていた坂本博之さんは、全国の児童養護施設を回り、

経済的なサポートと、大人によって傷つけられた子供たちの心に寄り添い、発散させ、

坂本博之さんが少しでも子供たちに希望を持たせる活動をされています。

児童養護施設にいる子どもは全国で3万人超、その半分以上が虐待を受けた経験を持っています。

「運命は、自らの手で切り開くもの」

という坂本さんの信念を伝えています。

今、坂本博之さんは子供達を救うため「こころの青空基金」を設立し、児童養護施設の支援に尽力されています。

そして、ボクシング引退後、待望のお子さん(女の子)を授かることができました。

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坂本博之の壮絶な生い立ち・虐待で児童養護施設から”平成のKOキング”プロボクサーチャンピオンに!不幸の連続を受け入れ子供達を救う活動とは? まとめ

坂本博之さんの活動は本当にすごいことをされていらっしゃいます。

ご本人自身が大変辛い思いをされ、グレずに真っ当に来られたのも弟がいたからと言われていますが、坂本博之さんの負けん気根性が一生懸命さや誠実さへと形を変え、その思いが子供達伝わっているのでしょう。

坂本博之さんを調べていくうちに、心の熱さや、人への思いやりに久々に心揺さぶられる素晴らしい方でした。

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