全日空61便ハイジャック事件はなぜ起きたのか?航空機マニアだった犯人の動機とは?




出発してすぐの羽田発新千歳行きの全日空(ANA)61便航空機包丁を持った男にハイジャックされたという連絡が入ったのは1999年7月23日午前11時25分のこと。

この飛行機を操縦していた長島直之機長(51歳)が犯人に刺され死亡。

乗客503人を乗せた飛行機は墜落寸前だったのですが、同機に乗り合わせた非番だったパイロットの山内純二さんはコックピットのドアを体当たりで開けて操縦かんを握り、間一髪のところで旅客機を救ったのです。

この全日空61便のハイジャック事件はなぜ起きてしまったのか調べてみました。

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ハイジャック事件発生!

1999年7月23日午前11時23分、羽田空港新千歳空港行きの全日本空輸61便が、乗員14人(機長長島 直之さん⦅当時51歳⦆ /  副操縦士・古賀 和幸さん⦅当時34歳⦆と乗客503人の合計517人を乗せて、羽田空港を離陸しました。

離陸直後に、乗客として搭乗していた犯人が大声を上げながら立ち上がり、キャビンアテンダント(CA)に包丁を突きつけながら、コックピットへ行くように指示しました。

機長はCAへ危害が被ることを防ぐために、ハイジャック発生時のマニュアル「犯人優先主義」のもと犯人のコックピットへの侵入を許可します。

11時25分 機長は地上管制に『ハイジャック発生』の緊急通報が発しました。

犯人はコックピットに侵入した後に、「横須賀へ向かえ」と指示。

それに対して、機長らは指示に従って南西方向へ変針。レインボーブリッジをすれすれに飛び、東京デズニーランドを左手に見て、ゆっくりと南下しました。

61便は横須賀方面へ飛行しましたが、犯人はさらに伊豆大島方面への飛行を指示しました。

11時38分、犯人と怒鳴りあいの末、古賀副機長は抵抗する術もなくコックピットの外へ追い出され、機長と犯人は2人きりになってコックピット内に留まりました。

長島機長「犯人を刺激しないように」と諭され古賀副機長は出てきたとのこと。

その頃、二階席にいた搭乗客とキャビンアテンダント以外、ハイジャックされたことを誰も知らず、まだ知らされていませんでした。

チーフアテンダントはコックピットに耳を付け、中の様子を伺いながら他のCAたちと乗客たちに「立ち上がらないように」と静止の動作を繰り返し、「マニュアルどおりの対応をしているから大丈夫」と乗客たちに少しでも不安を持たせないよう対応をしていました。

61便は江ノ島が右手に見え、大島方面の手前を右に大きく旋回します。

チーフアテンダンドから、「犯人は横須賀の米軍基地に着陸するよう要求している」との事。

二階席の後方の乗客は一階席に移るよう要請し、20~30人程の乗客が1階へ退避します。

機長はそれに従う傍ら、犯人の操縦によって墜落するのを防ぐために横田基地への自動操縦を設定します。

左手に大きく横須賀基地の空母艦らしいものも見える中、また情報が入り横須賀には着陸できないので、福生の横田基地へと目的地を変更したとのこと。

その後、犯人機長に自分に操縦をさせるように要求しました。

機長は犯人の要求には従わずに、犯人をなだめようと試みます。

しかし、犯人は機長を包丁で刺してしまうのです。

11時55分 犯人が機長を包丁で刺した後に自分で操縦しようとして、操縦席に座って操縦行為を始めました。

まさか犯人が操縦桿を握っているなど、乗客も当然知らされていない状況です。

その頃から、CA達の動きが急に慌しくなり、古賀副機長の他に、初めて見る操縦士の服装の方が客室前方に移動してきました。

その方は山内純二機長という方で、非番で千歳出発便の乗務のために乗り合わせていて、この便の二階後方に乗っていたのです。

小柄で白髪交じりの、いかにもベテランと見える山内機長

もう一人、山内機長と同じ便に乗務するアテンダントの女性の方も一緒でした。

山内機長とその女性はコックピットの中の様子をモニターしていたらしく、

「操縦桿は犯人が握っているらしい。長島機長の話し声がしない」と…

山内機長とその女性はチーフアテンダントや古賀副機長を叱咤し、

「お前たち、なにやってるんだ!」

「マニュアルが…」 チーフが答える

「そんなもん、関係あるか」 と山内機長

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その頃、61便は横浜上空を越え八王子上空を超低空飛行で横田基地を目指し、ゆらゆらと飛行していました。

福生に入る頃、急に機が超低空飛行になり窓の外からは、国道沿いに建つマンションの窓がはっきりと見えるほどの高度で飛行していたのです。

犯人が操縦し、急速に高度を下げたため、地上接近の警告音が鳴りました。

基地内の米軍マンションにぶつかりそうなほどだったといいます。

エマジェンシーコールが鳴り響き機体がぐらつきながら低空飛行を続け、地上まじかに木々と同じ高さほどに飛んでいるようでした。

危険を感じた副操縦士と、機長など協力者数名が、当時のマニュアル「機長の指示最優先」を破ってコックピットの扉を蹴破り、山内機長が操縦桿に飛びつきました。

突然のアテンダントの放送。

「この機はハイジャックされています。シートベルトをしっかり付け、立ち上がらないようにしてください!」繰り返しアナウンス。

機体は轟音と共に急上昇を遂げたのです。

犯人は他の乗客も協力し、すぐに取り抑えられネクタイやベルトなどを使用して犯人を縛り上げました。

12時3分、副操縦士から犯人を取り押さえたことと、機長が刺傷されたことを伝える連絡が入りました。

長島機長は右首筋から左肩口に包丁が突き刺さり、折れた切っ先が肩口から飛び出していたそうです。

その後、無事羽田に着陸をし、犯人が毛布でぐるぐる巻きにされ、運ばれていきます。

包まれた毛布は血だらけになっており、犯人の顔も血だらけの状態で警察に引き渡され逮捕されました。

そのまま犯人が操縦をして降下を続けていれば、数分後には八王子市南部の住宅街に墜落したと推測されています。

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犯人 西沢裕司とは?

犯人の名前は西沢裕司。犯行当時28歳でした。

子どものころから成績優秀で周囲の大人の評価は「いい子」。他者とのコミュニケーションを取らず、遊びよりも勉強の方が好きな、いわゆる「ガリ勉」タイプ。小学校2~3年生の時にいじめに遭っていました。

私立の名門校である武蔵中学と武蔵高校を経て、一橋大学を卒業しています。

西沢は子どもの頃から航空業界の憧れを持っており、将来の夢はパイロットでした。

航空業界への憧れは人一倍強く、羽田空港に着陸する経路30種類を覚えたり、羽田空港内の構造を全て把握したり、航空に関する知識は膨大にあったのです。

複数の航空会社を志願し、入社試験をうけるものの全て落選します。やむなく鉄道会社へ入社。その際、自宅を出て寮生活を始めました。

しかし、希望の航空会社に入社出来なかったことや、コミュニケーション能力の不足などにより人間関係に苦しみうつ病を患います。

1996年、西沢裕司は自殺を考えて寮を飛び出しました。

しかし死ぬことは出来ずに、半年ほど放浪を続け所持金が無くなり自宅に戻ります。

その後、仕事は辞めたのですが、うつ病は改善されずに精神科の治療を受け苦しんでいました。

それから家に引きこもるようになります。

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航空機マニアだった犯人の動機とは?

家に引きこもるようになってから、パイロットになったつもりで飛行機を操縦出来るゲーム「フライトシミュレーターゲーム」に没頭するようになります。

そんなある日、西沢裕司が家でインターネットをしていた時に、羽田空港の配置図から空港の警備体制の欠陥に気が付きました。

その後、航空会社や運輸省、東京空港署などに警備体制の『死角』を指摘する手紙を送りつけたのです。

これを行うことにより、西沢は自らの知識と技能がどれだけ有能かをアピールし、航空業界に採用されることを狙ったのです。

電話でも防止策案を提案するとともに、航空業界への採用のお願いをするものの、拒否をされ警備体制の指摘についても無視されたのでした。

『どうして勤勉でもあり、膨大な知識のある自分が認められないのか。
 自分の犯行手口に関する仮説と実証をまとめたので、自分を認めて欲しい。』

いつまで経っても自分の意見は採用されず、自分自身も人材として採用されない苛立ちから犯行を計画。書面で提出した犯行手口の実行手順通りの犯行を行いハイジャックを計画するようになったのです。

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警備の欠陥とは?

包丁や爆弾など、人や航空機に危害を加えうるような危険物を持ち込めないよう保安検査によって防げるのですが、なぜ西沢は機内に包丁を持ち込めたのか?

西沢が指摘した警備の欠陥を知らしめた犯行の手順は、

まず犯人は羽田空港→伊丹空港の航空券と、羽田空港→新千歳空港の航空券を同時に購入しました。

事件当日、包丁の入ったバッグを「預け荷物」として羽田空港→伊丹空港の便に搭乗します。

再度、往復するため包丁の入ったバッグを「預け荷物」として伊丹空港→羽田空港の便に搭乗。

羽田空港に到着し、包丁の入ったバッグをピックアップし、そのまま出口を出ることなく職員専用階段を使用して出発ロビーに移動(逆戻りして出発ロビーへ移動した)

あらかじめ購入しておいた羽田空港→新千歳空港の航空券で全日空61便へ搭乗。

これで凶器をいとも簡単に機内に持ち込めてしまったのです。

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未然に防げた?

西沢は犯行前日の7月22日、親や精神科医に北海道に一人旅に出かけるとウソを言い犯行を決行する予定でした。

しかし、その前日に西沢の両親によって、複数枚の航空券と凶器が入ったバックなどを自宅内で発見され、自分の息子が自殺すると思い込み、バッグを隠すという行動をしていたのです。

そのため、予定が狂い1日遅れの犯行の実行となったのです。

そして、西沢は凶器を持ち込むために利用した、羽田発伊丹行の予約時、当時地下鉄サリン事件で特別手配中だった、高橋克也と同名の「タカハシ・カツヤ」の偽名を使用していたのです。

羽田発札幌行きには当時、広島東洋カープの投手をしていた「佐々岡真司」の偽名を使用していました。

この時に従業員が不審に思い、購入時の電話番号に連絡したら、広島東洋カープの球団事務所に繋がったそうです。

これらの西沢の行動を不審に思った時点で、犯行に及ばずに済んだ対応ができたのではないかと考えずにはいられません・・・

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西沢裕司の現在は?

東京地方検察庁は精神鑑定を実施した後、1999年12月20日に初公判で、ハイジャック防止法違反と殺人罪、銃刀法違反の罪に問われ、2005年3月23日、東京地方裁判所は無期懲役の判決を下しました。

判決では、抗うつ剤による心神の衰弱は認められましたが、刑事責任能力は否定されませんでした。

精神鑑定は2回行われていて、1回目はアスペルガー障害2回目は抗うつ剤による影響と鑑定されています。

「宙返りやダッチロールをしてみたかった」

「レインボーブリッジの下をくぐってみたかった」

「機長が言うことを聞かず、頭にきて刺した」

「機長の心に向かって疲れていませんか?と問い掛けたら疲れていると答えたため楽にしてあげるために刺した」

など支離滅裂な話をしていたのでした。

西沢祐司は、現在も刑務所の中にいます。

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全日空61便ハイジャック事件はなぜ起きたのか? まとめ

犯人を取り押さえるのが、あと数十秒でも遅れれば乗客乗員の他にも大勢の市民を巻き込んだ大惨事になるところだったのです。

後に、61便の落下高度は地上210メートルから130メートルとなっていたのですが、実は60メートルから90メートルが正しいとのことでした。

まさに確実に墜落の寸前だったのです。

大惨事を避けようと犯人をなだめていた機長でしたが、西沢が機長を殺傷してしまうという、とても悲しい結末になってしまいました。

西沢の子ども時代から形成された自己顕示欲が高く、自分本位という性格の問題は、本人ではなく、周囲の環境で形成されたものなのです。

航空会社や関連会社も、欠陥を指摘されたことを真摯に受け止めず、会議止まりで対策を講じなかったことで、このような最悪な事態になったとしかいいようがありません。

全てが、犠牲者を出さずに最悪な事態を未然に防げた事件だったのです。

この事件の教訓を活かして、今後もこのような惨事にならないような早急な対策や、厳戒態勢を日本を代表する機関として対応していって欲しいですね。

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kanrenkontentsu



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