「本当にあった衝撃ファイル」でアメリカで史上最悪のストーカー事件、
”ローラブラック事件” が放送されます。
ストーカー犯人と同じ会社に入ったローラ・ブラックを狙ったストーカーの異常な愛が、集団殺人に発展してしまうのです。
このローラブラックストーカー事件がきっかけで、1993年にアメリカ初のストーキング規制法がカリフォルニア州で制定されました。
世界的にも大きな影響力を及ぼしたストーカー事件となりました。
アメリカ史上最悪のストーカー事件となった”ローラブラックストーカー事件”を詳しく調べてみました!
目次
ストーカー犯 リチャード・ファーレー生い立ち
引用:www.thoughtco.com
リチャード・ウェイド・ファーレー(Richard Wade Farley)は、1948年7月25日生まれ。
リチャードの父親は空軍の航空機整備士で、母親は主婦でした。
リチャードは6人兄弟の長男で、下の弟とは仲が悪く、麻薬に手を出したり、お金を親から盗んだりするので、正しい道に進ませようとよく弟達に注意していたとのこと。
リチャードの母親によると、家の中にはいつもたくさんの愛があったそうですが、家族はほとんど表に愛情をださなかったようです。
そのため、リチャードはネグレクトされたという気持ちを持っていたと言います。
リチャードの性格は、友人や隣人によると、時々兄弟と荒っぽい部分があるのを除いて、非暴力的で、礼儀正しく、親切だったそうです。
リチャードは1966年に高校を卒業し、サンタローザコミュニティカレッジに入学しましたが、1年後に退学し、10年間務めた米海軍に入隊しました。
その後、リチャードはアメリカ・カリフォルニア州サニーヴェイルにあるアメリカ軍の戦略システムや技術開発を行う最先端企業「エレクトロマグネティック・システムズ・ラブズ」(ESL)という会社で、ソフトウェア・エンジニアとして勤務していました。
その当時の同僚との関係では、仕事については、良心的で一般的にはいい人と言われている反面、ごう慢で情緒的な部分もあり、自分の銃のコレクションと優れた自分の技量について自慢するのが好きだったと言います。
犯人リチャードファーレーの異常愛が集団殺人を引き起こしたストーカー事件
引用:www.mercurynews.com
1984年ローラ・ブラック(当時22歳)は大学を卒業後、ESL社に入社しました。
ここからローラの悪夢の始まりとなるのです。
その半年後の1984年4月、ローラは同僚からリチャード(当時35歳)を紹介されます。
ローラは職場の同僚の1人として挨拶を交わしたつもりでしたが、リチャードは13歳も年下のローラに一目惚れするのです。
その日以降、リチャードはローラの職場を毎日欠かさず訪れるようになり、リチャードは執拗にローラをデートに誘い始めます。
ローラは、「職場ではそういう関係を持ちたくない」と断わり続けたのですが、リチャードはますますエスカレートしていったのです。
リチャードは諦めるどころか、毎日ラブレターを渡し、200通をこえていました。
それでもローラが断り続けると、退社後のローラをストーキングするようになります。
休日には一日中ローラの様子を見張り、偶然を装ったり、ローラが通うエアロビクス教室に参加したり、尾行をするようになり常軌を逸したレベルになっていったのです。
ローラはそんなリチャードのストーキングを4年間も我慢したのですが、さすがに身の危険を感じ、会社に「4年間リチャードにセクハラされている」と助けを求め、リチャードの解雇を要請したのです。
しかし、リチャードの解雇ぐらいでは安心できませんでした。
なぜなら、ローラはストーカー行為をされ始めてから、3回も引っ越しをして、電話も変えているのにことごとくリチャードにバレてしまっていたのです。
それもそのはず、リチャードは海軍に在籍していた時に、スパイ活動の訓練も受けていた為、 ローラのプライベートでの行動を探り出す事はたやすいことだったのです。
ある朝、ローラの車のフロントガラスに「鍵を返してあげよう」というメモと鍵が置かれていたのです。
しかも そのカギは、自宅の合鍵だったのです。
さらに、
「これというのも全て、君が僕を馬鹿にして僕の真剣な気持ちを拒んだせいだ。これからもっとひどい事が起こるぞ」
というリチャードから手紙が届いたのです。
ローラは命の危険と恐怖を感じ弁護士に相談、裁判所にリチャードの接近禁止命令を求めました。
すると、裁判で認められリチャードはローラからへの接触を一切禁じられ、 これ以上ローラにつきまとえば、警察が逮捕できるようになりました。
ですが、リチャードは逆上してしまうのです。
1988年2月17日、
ショットガン2挺、ライフル4挺に弾丸1100発を持参したリチャードは、ローラが働いている元勤務先に現れたのです。
最初に、会社の出入口から出てきた男性をショットガンで射殺、
鍵を銃で破壊し、社内に侵入すると、男性社員2人を射殺し
2階に上がり銃を乱射し男性2人と女性2人が死亡、4人が負傷。
7名を射殺、4名に重傷を負わせたのです。
そのままローラのいるオフィスに向かい、リチャードを見かけたローラは、ドアの鍵を急いで閉めました。
ですが、リチャードはドアに向かってショットガンを発射し、散弾はドアを破り、ローラの左肩を砕き、肺を潰してしまいましたが、一命は取り留めることができました。
そしてローラは何とか脱出したのです。
その後、警察が駆けつけると、リチャードはオフィスに立て籠ります。
6時間後、リチャードは警察に対して、
「ターキー・サンドウィッチとダイエット・コーク」
を要求し、それを食べると素直に投降したのでした。
後ろ向きに階段を下りてきて投稿したリチャード
オフィスに立て籠り、交渉人との電話の会話で言ったリチャードの言葉は、
「ただ彼女とデートしたかっただけなんだ。1度でいいから」
裁判
逮捕されたリチャードは警察に
「ローラに伝えて欲しいことがあるんだ」と語り始めたのです。
ローラに対して過激になっていった愛が憎悪と化してしまったのに、なぜ殺さなかったのか…
それは、
「たっぷり後悔させてやりたいからさ。彼女のせいで死体の山が築かれることになったってさ」
裁判で、リチャードはこの事件について、ローラの目の前で自殺するとこで、罪の意識を感じさせようとしたが、侵入と同時に気分が高揚し、発砲してしまったと釈明しました。
ですが、リチャード・ファーレーは死刑判決を下されました。
アメリカ・ローラブラックストーカー事件とは犯人リチャードファーレーの異常愛が集団殺人を引き起こした史上最悪ストーカ―事件 まとめ
ローラは男性に興味がなかったわけではなく、男友達とデートをしていたのですが、そのうち社内のいろんな男と寝ては、自分のやりたいことを実現させていったことがわかり、それを面白く感じなかったリチャードは、途中からローラを「正して」やろうと思ったというのです。
そもそもリチャードは幼少期から親からネグレクトを受けていると感じ、親心で兄弟たちに「正そう」という正義感があったのですが、その自分本位な間違った解釈が、好意から異常な愛へ変わり、執着すぎる性格がストーカーという危険な行為に陥り犠牲者を出してしまったのです。
この事件がきっかけとなり、カリフォルニア州はアメリカで初となるストーカー行為がエスカレートする前に、警察が動くことが出来るようになったストーカー規制法を可決しました。
ローラ・ブラックはこの事件が起きた後、職場復帰しその後別の会社に移ったとのことです。
リチャード・ファーレー死刑囚はサンクエントゥン刑務所の死刑囚棟で服役中です。
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