イメルダマルコスはフィリピンの悪女?!若いころは美人で現在90歳でも女帝っぷりがスゴイ!




世界悪女列伝に必ず名が挙がる、フィリピンの女帝【イメルダ・マルコス】

フィリピン共和国10代大統領フェルティナンド・マルコス夫人でした。

20年間、フィリピンの独裁者として頂点に君臨。

イメルダ夫人といえば、贅を尽くしまくり3000足の靴を所有していたのは有名ですよね!

そして最近では、イメルダ夫人の90歳の誕生日を迎えられました。

悪女と言われながらも、フィリピンではいまだに人気なのです。

その現在の女帝ぷりなども調べてみました!

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イメルダ・マルコスの生い立ち

     引用:KYODONEWS

1929年7月2日(90歳/2019年時点)アメリカの植民地であったマニラで生まれたイメルダ

腹違いの兄姉が5人おり、その後 弟と妹が5人できた11人兄弟。

イメルダが9歳の時に母が肺炎で他界、弁護士だった父の仕事も減少し、

生活が困窮した家族は、父親の生まれ故郷レイテ島・タクロバンへ移住しました。

それでも生活は苦しく、イメルダは母の形見の装飾品を売って、生活費にしていました。

ですがイメルダは、

「この生活からいつか絶対に抜け出してやる」

という強い気持ちを持ち続けていました。

「貧しい人と裕福人の違いは靴だ。

今は貧しい家だが、靴だけはちゃんと履いて、高貴な人間でいるんだ。」

貧乏ながらも、なけなしのお金で父親に買ってもらった靴。

この父の教えが、靴へのこだわりにつながっていったのだと言われています。

学生時代は英語を学び、セントポール大学を卒業後、中国人学校の教員をし、その後フィリピン中央銀行の秘書をしていました。

イメルダは若いころからイケメンは好みではなく、金と権力をもった男性が好きだったといいます。

自分の美貌を活かし、ミスマニラに選ばれさえすれば、いい男が自分を選んでくれると考え、ミス・コンテスト荒らしとなっていきました。

1953年のミスコンでは、準優勝という結果を不服として、マニラ市長に異議申し立てをします。

さすがに結果は覆りませんでしたが、マニラ市長はイメルダのために

「マニラのミューズ(女神)」

という新たな賞を作り、大々的に新聞でも取り上げたのです。

ミスマニラにはなれなかったものの、この騒動でイメルダは、その名を大きく世に知られることとなりました。

それ以来、有名になったイメルダは何人もの男性からプロポーズをされたそうですが、イメルダが求める条件を満たす男性はいなかったのです。

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大統領にのし上がった夫・マルコスとの出会い

引用:http://manilafreak.jugem.jp

イメルダが24歳の時、国会のカフェテリアで将来有望な国会議員を待ち伏せしました。

そこに現れたのが、当時最年少で下院議員となったフェルディナンド・マルコス(当時27歳)でした。

なんと、マルコスは初対面のイメルダに、その場でプロポーズしたのです。

ですが、イメルダは断り続けました。

しかし、再びプロポーズを受けようやく結婚を受け入れたと同時に主導権を握りました。

そして出会ってから11日目に結婚を決めたのでした。

夫・マルコスを大統領にしたイメルダのパワー

イメルダは夫を将来の大統領にするべくどのようなことをしたのでしょうか。

イメルダマルコスを支えるために政治・経済・外交を勉強し、コネクションを広げるために議員の夫人の集まりに積極的に参加します。

そして、マルコスが大統領になるべく男だということを周囲にアピールしたといいます。

ですが、初めからうまく立ち回れたわけではありませんでした。

これまで政治とは無縁だったイメルダにとって、このことは相当な重圧となり偏頭痛となってイメルダを襲ったのです。

そのため、イメルダは治療のために米国の精神科で診察を受けていました。

イメルダの症状は少しずつ改善に向かい模範的な政治家の妻となる決意をしたのです。

結果、イメルダの望み通りマルコスは、45歳で上議員議長に、47歳で大統領選挙に出馬しました。

そして結婚から10年。

1965年12月、マルコスはフィリピン共和国大統領に就任し、

イメルダは36歳で大統領夫人になりました。

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イメルダ・マルコスは世紀の悪女

大統領夫人となったイメルダは、政府系企業30社の社長に就任します。

それらの会社を通じ、国家予算を年間40億円も横領したと言われています。

また、フィリピン各地で寄付金を集め、着服の疑惑も出ています。

こうしたお金で私腹を肥やし、イメルダは贅沢三昧な生活を送っていたのです。

特に靴とドレスには異常なまでに執着し、ヨーロッパの高級ブランド靴3000足ドレス6000着も持っていました。

                   引用:www.afpbb.com

当時のフィリピンでは、彼女の所有する靴2足で庶民1人分の平均年収になったと言われています。

世界の巨匠有名絵画や、24億円相当の宝飾品など持ち、同じ装飾品をつけているのを見たことがないといわれていたほど、贅を尽くした暮らしをしていました。

イメルダ・マルコスの暗殺事件

当時、フィリピンは激しい貧富の差があり、国民はマルコス政権への不信感を募らせていきます。

一向に改善されない生活に、フィリピンではマルコス大統領退陣を求める運動が起こりました。

しかし、この状況でマルコスは、

「私は1972年9月21日付けで、大統領令 1081に署名した。フィリピンに戒厳令をしく」

とし、反対制派の人々を軍の力を持って制圧し拷問・投獄したのです。

そして、自分たちの政権維持のため三選禁止という大統領の任期に関する法律を改正し、ますます独裁政権へと進んでいくのです。

そんな政権に国民の怒りを買い、イメルダの暗殺未遂事件が起こったのです。

1972年12月、イメルダは、マニラの全国美化清掃運動表彰式中に、刃物を持った男が現れイメルダは腕など75針を縫う大けがをしてしまいます。

そして、夫マルコスにも肝臓の病が発症。

その噂はすぐさま国民にも広がり、政権交代の機運が一気に高まりました。

その反マルコス派の中心人物がベニグノ・アキノ氏でした。

       引用:Wikipedia

反マルコス派の筆頭であったアキノ氏は、マルコスによってアメリカに追放されます。

1983年8月21日、アキノ氏が追放されていたアメリカからフィリピンに帰国します。

ですが、マニラ空港に降り立った際、頭を打ちぬかれてアキノ氏は暗殺されてしまうのです。

そこでマルコスイメルダの関与が疑われましたが、関与は認められなかったのです。

このとき、政権交代の声は、止められないほど激化、この事件により反マルコス運動によるデモや暴動が活発化していったのです。

最終的に、反マルコス派の100万人の大集会が開かれ、宮殿にも群衆が押し寄せました。

1986年、イメルダマルコスは、ハワイに亡命を余儀なくされました。

1988年、イメルダは、フィリピン政府から1億ドル以上盗み取ったとして恐喝及び横領罪で起訴されました。

ですが、証拠不十分で請求は棄却されました。

そして、

1989年マルコス元大統領は、亡命先のハワイで72歳で死去します。

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若いころは美人で現在90歳でも女帝っぷりがスゴイ

1991年、イメルダは政府の許可を得てフィリピンに帰国します。

1995年には、幼少時代を過ごしたレイケ島から下院議員に立候補し当選しています。

その後も、勢力的に政治に関わり、2016年には下院議員選挙で勝利し3選を果たしました。

現在は、90歳を迎えたイメルダ

反イメルダ派もいまだに多く、行動もある程度は制限されているとはいえ、マニラの豪邸の他にも高級マンションや別邸も所有しているそうで、お金には困らず贅沢な暮らしをされているようです。

若いころはとても美人で元大統領のマルコスに一目ぼれをさせるほどの美貌を活かし、大統領夫人へと上りつめたイメルダ

そんな美しさを持っていたイメルダも、今では90歳となりましたが、誕生日会では2500人もの人がお祝いしたそうです。

この誕生日会では、260人の食中毒の疑いで病院に運ばれてしまいましたが…

ただ、89歳まで政治家として政治に関わり、過去には国民に失脚させられ、今でも汚職事件で実刑判決を下されている状況で、現に今でも元気でおられるのは、本当に【鋼の蝶】と言われているのもわかりますね。

ある意味、まだフィリピンの女帝として【鋼の蝶】は健在しているようです。

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