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ピザ配達のテッサ殺害事件の犯人を知る刑務所にいる男とは?アメリカシンコティーグ島

ピザ配達のテッサ殺害事件の犯人は?アメリカシンコティーグ島 事件

アメリカのバージニア州にある小さな島シンコティーグ島で起きた殺害事件。

23歳のピザ屋で働いていたテッサ・ヴァン・ハート。

ピザの配達に行ったテッサはそのまま戻らず殺害されてしまいました。

当然ピザを頼んだ家を真っ先に疑ったのですが、そこは空き家。

犯人を捕まえられず時が過ぎ、刑務所に服役する受刑者から犯人の情報が!

いったい犯人は誰なのでしょうか?

ピザ配達のテッサ・ヴァン・ハート

テッサ(23歳)は2人の幼い子どもを持つ母親でした。

夫のウォルター・ヴァン・ハートと結婚し、夫婦でピザ屋で働いていました。

1994年1月17日、午後7時45分頃ピザの注文が入りテッサが配達に行ったのが最後となってしまったのです。

ピザ配達のテッサ殺害事件 概要

テッサが配達に行って戻ってきてもおかしくない時間なのに戻らないことを不審に思った夫のウォルターが911に連絡。

警察が到着して周囲を捜索していると、ピザを配達する予定だった場所から1マイル(1.6キロ)ほど離れた空き家の裏手に駐車した車の後部座席に座っているテッサが殺害された状態で発見されました。

解剖の結果、精液が採取され性的暴行を受けていたことを確認。

テッサの額、頬、鼻、口と手には打撲傷があり、頭部に2発の銃弾を受けた痕がありました。

そして、車の前には配達するはずのピザがあったのです。

いったい誰が?

警察が最初に怪しんだのは、ピザが配達されるはずの家。

ですが、別荘だったため空き家だったということが判明。

その庭にテッサの血痕があることが確認され、襲われたのがその場所だと確信していたのですが、目撃者はおらず、手がかりを得ることが困難となりました。

シンコティーグ島は住民たちもお互いをよく知る仲の小さな島。

住民たちも捜索を協力していたのにも関わらず、ピザ配達人テッサ殺人事件は2年以上未解決となってしまったのです。

ピザ配達のテッサ殺害事件の犯人は?

事件から2年以上経った1996年6月3日、テッサ・ヴァン・ハート殺害に関する情報を持っているという男が突然現れたのです。

それは、無関係の罪で判決が下されるまでアコマック郡刑務所にいたブライアン・リー・チェリックスという男。

保留中の判決を寛大にする代わりに警察と犯人の情報を共有すると持ち掛けたのです。

犯人はブライアン・リー・チェリックスのいとこ?

ブライアン・リー・チェリックスは警察に、自分のいとこのロバート・バーチ三世がテッサを殺したと告白したのです。

1994年1月、いとこのバーチがピザを注文して空き家にテッサ・ヴァン・ハートを誘い込み、彼女を強姦して射殺。

その後、犯罪に使用されたライフルを近くの小川に捨てたとバーチから告げられたと。

しかし、バーチを探そうにも1995年に自動車事故で死亡していたのです。

警察は、​​ブライアンが告白したライフルを探すため小川の水中捜索を開始。

しかし、なかなか見つからずブライアンを直接シンコティーグへ連れて行きバーチがライフルを投げたと主張する場所へ連れていったのです。

ブライアンはライフル銃が小川のどこにどのようにして置かれたのかを説明する際に、時折一人称を使っていたのを見逃さなかった警察。

ダイバーたちは、ブライアンが指示した場所で22口径ライフルを回収したのでした。

その後、警察は殺人当日の夜にバーチの行方を捜査し、いとこが島にすらいなかったことが分かり、バーチはテッサ殺害事件の容疑者ではないと結論づけました。

真犯人はブライアン・リー・チェリックス?

1996年8月、ブライアンはテッサ殺害事件とは無関係の罪で懲役20年(執行猶予9年を除く)の判決を受けた後、刑期を終えるためバージニア州矯正局の拘留に移送されました。

1997年4月16日、ブライアンは暴言と窃盗の罪でアコマック郡刑務所に戻されました。

ブランズウィック矯正センターからアコマック郡刑務所までの車中、シンコティーグ警察署長補佐官はテッサ・ヴァン・ハート殺害に関してブライアンに事情聴取をしたのです。

ブライアンは補佐官に、テッサ殺害事件については依然としていとこのバーチが殺人を犯したと言い放ったのです。

その後、1997年4月25日、ブライアンはアコマック郡刑務所当局にシンコティーグ警察署長補佐官との面会を求める書面による要請を提出したのでした。

補佐官はブライアンに会うために刑務所へ行き、そこでブライアンはテッサ・ヴァン・ハートの殺人を自白したのです。

ブライアンはなぜ自白をしたのか?

ブライアンはテッサに恨みがあったわけでもなく事件を犯してしまった背景には何かしら精神的な問題があったとしかいいようがありません。

ただなぜ自白をしたか・・・

本人が言うにはもうこれ以上警察から執拗な追い詰めに疲れ自白したと話しています。

判決

ブライアンの知人であるクリストファー・フォックスは、警察が発見した22口径ライフルをブライアンに販売したと特定しました。

ブライアンの元妻も、このライフルはブライアンがかつて所有していたものであると助言。

ブライアンはテッサ殺害後、何事もなかったかのように元妻に電話をしたり、さらに被害者の遺体を見るために葬儀場を訪れ、被害者の遺体は「美しかった」と警察に話したのです。

ブライアンのこのような行動が、卑劣さと精神的異常が陪審の決定を裏付けることに!

その後、ブライアン・リー・チェリックスは死刑判決を下されました。

2004年3月18日、ブライアン(30歳)はグリーンズビル矯正センターの死刑室で薬物注射により処刑されました。

ピザ配達のテッサ殺害事件の犯人を知る刑務所の男とは?アメリカ まとめ

夫婦でピザ屋で働いていたテッサ・ヴァン・ハートの殺害事件。

ピザの注文が入り配達に行ったまま帰らぬ人となってしまったテッサ。

配達に行った先は誰もいない別荘でした。

配達先から1.6キロほど離れた場所にテッサの車の後部座席で遺体となって発見。

2年以上もの間、犯人が判明せず未解決事件となってしまいました。

ところが、テッサ殺害事件の犯人を知っているという男が現れたのです。

犯人はテッサの殺害事件とは別件で収監されていたブライアン・リー・チェリックスが、テッサ殺害の犯人の情報提供と引き換えに、判決を軽くしようと話を持ち掛けました。

犯人はブライアンのいとこだと主張していたが、結果的に自分がやったと自白。

判決は死刑。

2004年に30歳のブライアンは薬物注射で処刑されました。

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